2月星空情報②

2月中旬になり、梅の花が見頃を迎える時期になりました。
春の気配も感じる今日この頃ですが、朝晩はまだまだ冷え込み、
星空を見上げる時は防寒対策が必須です。

さて、夜11時頃に星空を眺めると、
星からも季節の変わり目を感じることができます。
南から西は冬の星座、南から東は春の星座が広がっており、
星座を探す目印の「冬の大三角」と「春の大三角」を
同時に楽しむことができます。

図:2月15日夜11頃の星図

 

今回は春の大三角を使って、これから夜空で見頃となる星座を一つご紹介します。
春の大三角のうち西側(右)にある「デネボラ」は、
誕生日の星座である しし座の星です。
しし座には明るく青白色の星「レグルス」があります。
レグルスより少し高いところに目線を移すと、
オレンジ色の星「アルギエバ」にたどり着きます。

図:しし座の星座線と星の名前

アルギエバは美しい二重星です。
二重星とは、肉眼では1つにしか見えない星が
望遠鏡などを使うと、2つの星が寄り添って見える天体のことをいいます。

二重星 アルギエバ
(撮影:相模原市立博物館天文クラブ)

 

また、昨年10月6日に地球へ準大接近し、明るく赤く輝いている火星は
日の入り後の南西の高い空で、まだまだ見ることができます。

火星準大接近
(2020年10月撮影 相模原市立博物館 )

 

2月19日は見かけ上、火星と月が接近する様子が楽しめます。
翌日の20日は半月(上弦の月)と
おうし座のオレンジ色の星「アルデバラン」との接近も見ることができます。

図:月が火星に接近
(国立天文台 天文情報センター)

当日晴れましたら、ぜひ、ご覧ください。

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カワセミのおえっ!

ある公園でカワセミを見ました。
手ごろな杭の上に止まってくれたので、写真を撮ってみました。いつ出会っても、この鳥の美しさには唸ってしまいます。

すました顔のカワセミ

すると、おもむろに嘴をパクパクし始めました。

突然嘴をパクパク開け始めました

これはもしや・・
おえっ!と何かを吐き出しました。

おえっ!

鳥は歯を持たないので、基本的に咀嚼(そしゃく)はしません。カワセミも魚を頭から丸飲みします。胃で消化液と混ぜられてから筋胃(きんい=砂のう)という器官へ送られ、ここですりつぶします。そして、消化できないものはまとめて団子(だんご)状にし、口から吐き出すというすごい機能を働かせます。カワセミの場合、魚の骨や鱗(うろこ)などをまとめて吐き出します。こうした不消化物の団子を、ペリットと呼びます。肉食の鳥だけでなく、果実食の鳥でも種子をまとめてペリットとして吐き出すことがあります。
ということで、美しくおしゃれなカワセミも、ペリットを吐くときはちょっとワイルドというか、あられもない表情になってしまいます。でも、野生の生きものらしくて、こんな写真を好んで撮ってしまいます。

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イカルの大群

2月9日、博物館お隣の樹林地がやけに賑やかでした。なんだろうと思って近づくと、イカルの群が地面に下りて、夢中で採食していたのです。

地上で採食するイカルの群

こちらが近づきすぎて一斉に飛び立つと、バババと大きな音がしました。ざっと数えて150羽ほどいました。それにしても、翼の青色光沢が美しい鳥です。

飛び立つイカル

枝上に止まったところです。黒い頭巾(ずきん)に、大きな黄色い嘴(くちばし)。ある年代より上の方には、懐かしい姿ではないでしょうか。かつて駅の構内の売店では、この鳥がイメージキャラクターとしてシャッターに描かれていました。

特徴的な色合いと顔つき

画面奥の樹洞(じゅどう)に頭を突っ込んでいる個体がいます。それを回りで順番待ちをしているのは、樹洞にたまった水を飲むためです。

水飲みの順番を待っているところ

このたくさんのイカルは、おそらく北方から食料を求めて南下してきた群と思われます。もともと相模原市内にもイカルは生息していますが、冬は10羽程度の群で行動しています。北方で食料不足になり、大挙して相模原までやってきたのでしょう。まだまだ厳しい季節が続きますが、なんとか栄養を蓄えて北へ帰ってほしいですね。

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飛行機雲と彩雲

新型コロナウイルスの影響で、私たちの生活は一変してしまいましたが、今日も空を見上げると変わらぬ青空が広がっています。
この当たり前のように感じる青空は、太陽の光と地球大気が織りなしてできる、地球でしか見ることのできない光景です。
そんなことを思いながら空を見上げると毎日が少し楽しく感じられるかもしれません。

さて、見通しの良い場所で青空を見上げると、そこにはほとんどの場合、雲が浮かんでいます。
今日、博物館から見上げた空にはたくさんの帯状の雲が浮かんでいました。

2/10 14:00頃の空

細くみえるもの、太くみえるものがありますが、両方とも一般的に「飛行機雲」と呼ばれる雲です。
飛行機雲は飛行機のエンジンから排出される高温の排気ガスが、急速に冷やされることによって生じます。
上空大気が湿っているほど、飛行機雲は空に残りやすく、発達(変異)して広がり、今回のような帯状になります。

一方、太陽のほうを向いてみると太陽の近くの雲が虹色に輝いていました。
これは雲を形作る小さな水滴(雲粒)によって、回折した光が雲を虹色に染め上げる「彩雲」です。

彩雲
※彩雲は太陽の近くに現れます。太陽を直接見ると目を傷める恐れがあります。観察する時は太陽を建物などで隠し、太陽を直接見ないようにして観察してください。

また、今回の彩雲は、細かな波打っている様子が見て取れる上層の雲「波状巻積雲(はじょうけんせきうん)」が色づいたもののようです。
巻積雲ができる高度の空は氷点下、彩雲となるのは水滴でできた雲ということを考えると
雲を構成する雲粒が過冷却(0℃以下でも液体の状態の)水滴であることがわかります。
このように雲を通して上空大気や雲の状態を予想してみるのも昼間の空の楽しみ方のひとつです。

外出自粛が求められている中ですが、自宅の窓から見える、いつもの空も
見かたを変えてみると新しい発見があるかもしれません。

ぜひ自宅から見える地球ならではの光景を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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フクジュソウが開花

相模原市緑区で、自生のフクジュソウが開花しました。栽培される山野草としてとても人気があるので、住宅地の庭先などでも1月末くらいから咲き始めています。しかし、この地のフクジュソウは神奈川県内でも極めて珍しい自生地(人が持ち込んだものでなく、もともと分布している場所)とされています。

フクジュソウ

まだ日当たりの良い南向きの斜面だけで咲いていますが、日陰の場所などがこれから順次咲くので3月まで開花が続きます。
フクジュソウのまぶしいほど黄色い花弁状の部分は、萼片(がくへん)です。これはキンポウゲ科の植物に共通した特徴で、いわゆる花びら(花弁)はありません。

お椀型の花

真冬に咲き始めるため、花粉を運んでくれる昆虫がまだ少ない状況です。昆虫に見つけてもらいやすいよう目立つだけでなく、放射状でお椀型に開く萼は、パラボラアンテナのような作用で熱を集めていると言われています。蜜こそ出しませんが、花粉は栄養価が高く、昆虫にとってはごちそうでもあります。暖房付きのレストランでおもてなしするかわりに、他の花へ花粉を運んでもらおうというわけです。

きれいに放射状に並んだ萼

そんな理由で光沢の強い萼片は、晴れた日に写真を撮ろうとするとちょっと難しい素材です。花に合わせて明るさを調整すると、ほかが真っ暗になってしまうからです。写真を撮る側の本心としては、薄曇り気味で、地面にちょっぴり雪があれば一番なのですが・・。そんな人間の勝手な欲に関係なく、太陽に向かって咲くフクジュソウはやっぱり力強く美しい花でした。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No46・初午)

初午(はつうま)は2月に入って初めての午の日で、今年は立春と同じ日の2月3日でした。その年によって、立春の前に午の日が来ることもありますが、その年は火事が多いとして、初午ではなく立春後の二の午(二回目の午の日)に行事を行いました。

初午はお稲荷さんを祀る日で、稲荷社は個人の家の屋敷神をはじめ、複数の家々で共同で祀ったり、また集落全体の神として、非常に多くの祠を見かけることができます。

初午の行事には幟(のぼり)を立てることが行われ、以前は幟を目当てに歩くと稲荷社を見つけることができました。行事自体は初午の日ですが、幟は2月1日に立てられることも多く、写真は昭和63年(1988)2月1日・南区当麻です。

次の3枚の写真は、中央区上矢部で昭和62年(1987)2月14日に撮影したものです、個人の家の屋敷にある稲荷にお参りしています。

二枚目の写真では、左側に竹筒に入れた酒があるほか、団子や小豆飯・メザシ・油揚げなどが供えられ、団子や小豆飯などは稲わらで作った藁苞(わらづと)に入れられています。初午の供え物は、藁苞に入れることがよく見られます。

そして、お供えしたものをおろして、集まっている近所の人たちと食べてひと時を過ごしました。

複数の家で稲荷を祀る場合には、初午に各地で稲荷講として宿(やど)に集まり、稲荷を祀ることも行われました。写真は緑区相原での稲荷講で、宿の家の床の間に稲荷の掛け軸を飾って供え物をし、講のメンバーが集まって飲食をしました(文化財記録映画第9作目「続・相模原の年中行事」・平成2年[1990]2月撮影)。

稲荷社は常設の祠のほかに、臨時の祠のようなものを作る例がポツポツあり、最後の写真は南区当麻で、初午に際して稲荷社の脇に竹を柱にして、それに杉の枝の屋根をのせたお仮屋を作っています。

また、後ろから一本の竹を斜めに差し掛け、竹の先端に杉の枝葉を丸めたものを縄で吊り下げています。これは鯛釣り(タイツリ)と呼ばれており、他ではほとんど見ない、珍しいものとされています(平成22年(2010)2月)

江戸には稲荷社が多かったことも知られており、稲荷を祀る日として初午が盛んに行われてきました。そして、農家では農業、商家では商売繁盛、漁村では豊漁の神など、その信仰は地域の生活と密着しており、特に養蚕が盛んだった市内では、稲荷に繭の豊作を祈りました。市内には養蚕の神としての稲荷社があり、今後、紹介していきたいと思います。

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シリーズ「相模原ふるさといろはかるた」でみる名所紹介㉗ ㋔小原宿

小原宿 大名行列 しずしずと (おばらじゅく だいみょうぎょうれつ しずしずと)

小原宿は、江戸時代の五街道の一つ「甲州道中」(こうしゅうどうちゅう *「甲州街道」は通称で、甲州道中が正式名)の宿場で、現在も本陣(大名等が宿泊する建物)や宿場を偲ぶ建物が残されています。

小原宿本陣の入口

宿場の面影を残す建物…
古道歩きの方も多く通ります

絵札に描かれている大名行列は、毎年11月3日に開催されている「甲州街道小原宿本陣祭」の中で行われているメインイベントで、「奴の舞」という毛槍を持つ奴(やっこ)が槍を投げ渡して受け取る様は圧巻です。

大名行列 本陣前を通過中

本陣祭の詳細はこちらを甲州街道小原宿本陣祭実行委員会ホームページ(「奴の舞」などの動画もあります)

その他、甲州街道小原宿本陣祭では、本陣の庭での野点(のだて)でお茶を楽しめたり、地域団体による本陣太鼓・お囃子、民具の展示、昔のお店、歴史写真展などで大変賑わいます。(2020年は新型コロナウィルスの影響で中止)

本陣祭で行われる野点(のだて)

ここまでだけなら、観光情報と同じですので博物館らしく、歴史的な特徴も記したいと思います。

①市内で最初

小原宿本陣は周辺にも宿場の名残を留める、地域の良好な景観形成に重要な建造物として市の「景観重要建造物」に指定されています。この指定は景観法に基づく制度で、「小原宿本陣」、「市役所前通りの桜並木」が「景観重要建造物」、「景観重要樹木」の第1号として平成24年11月に指定されました。詳細はこちら(市ホームページ)をご覧ください。

②県内で唯一

県内を通っていた江戸時代の五街道には甲州道中の他、東海道もありました。その中で、小原宿の他に本陣が残っている宿場はなく、県内で唯一残る貴重な本陣として県指定有形文化財になっています。小原宿本陣の詳細はこちら(市ホームページ)をご覧ください。

県内唯一残る本陣として県指定になってます

③全国でも珍しい

小原宿は、西隣の与瀬(よせ)宿と近接しており、本来はひとつの宿場が担うことを二つの宿場で役割分担をしていました。それが「片継ぎ」(かたつぎ)というものです。

与瀬宿は、西側から来た人たちを、小原宿を通過し、その東側の難所である小仏(こぼとけ)峠を超え、小仏宿まで送るための人馬を提供します。一方、小原宿は小仏宿から来た人たちを、与瀬宿のひとつ西側の吉野宿まで送るための人馬を提供します。

甲州道中分限延絵図の小原宿周辺

この役割分担が「片継ぎ」というもので、全国的にも数少なく、宿場の規模が小さいことや付近に難所があることなどが理由のようです。

また、小原宿本陣のすぐそばには、小原宿に関する展示などがある「小原の郷」もありますので、あわせて利用していただくとよいかと思います。

小原の郷…朝市は大変にぎわいます

現在、小原宿本陣、小原の郷は新型コロナウィルスの影響で休館中です。見学・利用については、市ホームページ等で施設の開館状況をご確認の上、ご来館ください。

*このかるたは当館のボランティア「市民学芸員」が2017年に制作したものです。
*このかるたは相模原市立博物館にて貸出し可能です(現在、貸出しは休止中です。)
*貸出し詳細やかるたに関心のある方は、博物館までご連絡下さい(042-750-8030)。
*貸出し使用時には感染症予防のため、事前・事後の手洗い・消毒を必ず行って下さい。

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シリーズ「相模原ふるさといろはかるた」で見る名所紹介 ㉖ の

のんびりと 湖畔の散策 津久井湖で

津久井湖は、相模川総合開発計画の中で計画された、城山ダムの完成(昭和40年〔1965〕4月10日竣功)により誕生した人造湖です。

津久井湖と城山、左端は放水塔

城山ダムは、用水の確保と水力発電、洪水時の流量調節を目的とした多目的ダムで、神奈川県と横浜・川崎・横須賀3市の共同事業として建設されました。

城山ダム

用水の確保の面では、横浜市、相模原市、川崎市、横須賀市及び湘南地域への上水道・工業水を提供しています。また、串川取水路を通じて串川と、津久井導水路を通じて宮ヶ瀬ダム(中津川)と、道志導水路を介して道志ダムともつながっており、効率的な水運用が図られています。
水力発電所としては、揚水発電用のダム湖(下池)として使われて、上池の城山湖(本沢ダム)とともに、揚水発電に使われています。深夜などの余剰電力を使って上池に揚水し、電力需用の多くなる昼間及び夕方に発電を行っています。

城山湖(本沢ダム)

揚水発電所は、電力会社などが主体となって運営されるのがほとんどで、城山発電所は地方自治体による唯一の例となっています。

城山発電所

また、洪水時の流量調節については、令和元年(2019)の台風19号(「令和元年東日本台風」)の際に、ダムの緊急放流のニュースなどで話題となりました。ダムの基本的な機能がクローズアップされた事例になります。
津久井湖の建設を巡っては、水没者285世帯、水没区域は旧城山・津久井・相模湖3町内の11地区に及ぶもので、水没者の移転交渉と補償交渉には10年を越える年月を要しています。城山ダムサイトを見下ろす高台には、水没者のための施設として「津久井湖記念館」が昭和41年(1966)3月に建設され、運営を神奈川県津久井湖協会が行っています。ダム建設事業や水没地域の足跡を示す資料室が設置されており、併設されている津久井湖レークテニス(テニスコート)の運営など、共済事業を行っています。

津久井湖記念館

また、対岸の、現在「花の苑地」と呼んでいる場所には、観光の拠点として「津久井湖観光センター」が、昭和44年(1969)に県により建設され、津久井町(当時)が借り受け、津久井観光協会が運営を行っています。

津久井湖観光センター

津久井湖と城山(津久井城)を含む地域は、平成5年(1993)11月に「歴史と自然を活かす」都市公園(「県立津久井湖城山公園」)として都市計画決定され、城山ダムの両岸と、戦国時代の山城「津久井城」跡を利用した公園として、平成11年(1999)4月1日に開園しています。ダム両側に広がる「水の苑地」と「花の苑地」、城山南麓の「根小屋地区」がそれぞれ一体として整備されてきており、多くの市民や観光客が訪れています。
津久井湖記念館は、水の苑地内の施設として、

水の苑地

津久井湖観光センターは、花の苑地内の施設として、多くの観光客が訪れています。

花の苑地

〔津久井湖の桜〕
花の苑地側の城山の斜面に植えられた桜、水の苑地側のダムサイトに植えられた桜、どちらも津久井湖の春を代表する風景になっています。

津久井湖の桜

いつごろから桜は有名になったのでしょうか。実は、津久井湖のできる以前、ダムゲートの少し上流に横浜水道の水管橋が相模川の上に架かっていました。この水管橋は、横浜水道の第二期拡張工事の際に設置されたもので、大正4年(1915)に完成しています。

横浜水道 水管橋

この工事区間が、横浜水道第二期拡張工事の第三工区であったため、この地域も三工区(さんこうく)と呼ばれ、完成とともに桜の植栽がされたと考えられ、「三工区の桜」として、有名になりました。

三工区の桜 解説板

水管橋には歩道もついており、桜を眺めながらの散策路として人気を集めます。評論家、著述家として知られる室伏高信(むろふせ こうしん)が、昭和7年12月から旧三沢村の塩民(しおたみ)に暮らした心象風景を記載した『三沢村日記』(昭和8年7月刊行、第一書房)にも、三工区の桜を眺めながら水管橋を渡るシーンが出てきます。水管橋のあった場所は湖底に沈んでいますが、桜の植栽は受け継がれており、津久井湖は現在も桜の名所として知られています。花の時期に湖畔散策をするのも良いものです。

津久井湖の桜(その2)

*このかるたは当館のボランティア「市民学芸員」が2017年に制作したものです。
*現在、相模原市立博物館はコロナウィルスまん延防止のため、3月まで休館中です。このかるたは市立博物館にて貸出し可能ですので、開館後にお問い合わせください。
*貸出しの詳細やその他このかるたに関心のある方は、博物館までお問い合わせください(042-750-8030)。

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メジロの相互羽づくろい

とある公園で野鳥観察をしていると、メジロの群に遭遇しました。茂みの中でしばらく採食していましたが、そのうち近くの木の上にとまってそれぞれ羽づくろいを始めました。羽づくろいとは、嘴(くちばし)で羽根の1枚1枚をしごいたりほぐしたりして、羽根の並びと繊維を整え、からみついたゴミなどを除去する行動です。鳥を観察していると、結構頻繁に行うことがわかります。
さて、羽づくろいをしている群の中の2羽がぴったり寄り添ってとまり、お互いの顔のあたりの羽づくろいをしています。

もうちょっと左、とか言っているのでしょうか

なんとも仲睦まじく見えますね。これはメジロやハト、カラスの仲間などで知られる番(つがい)の行動で「相互羽(は)づくろい」と言われています。メジロの番は、基本的に生涯同じペアで続きます。冬の間は群を形成しつつも番は常に行動をともにして、このように時折相互羽づくろいをします。別の枝に移っても同じように相互羽づくろいを続けていました。

違う枝に移ってもまた始めました

羽づくろいは、鳥にとって身だしなみという以上に、命に係わる重要なお手入れです。保温や飛翔に欠かせない羽毛は、決まった順序の並びと、繊維がほつれずにきれいに揃っていることで機能を発揮します。でも、頭部は嘴で羽づくろいができないので、通常は足指でかきます。メジロはこれを、番のペア同士が嘴で羽づくろいし合うわけです。
なぜメジロなどの限られた種類だけがこうした行動をするのかはわかりません。しかし、毎年ペアが変わる鳥が多い中で、メジロは生涯同じペアであることを考えると、番の絆を深めるという意味合いが大きいのは確かなようですね。

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今日はリモート授業支援

【お知らせ】相模原市立博物館は現在、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言を受けて臨時の休館中です。

緊急事態宣言下で博物館が休館中、学校も外部講師を呼べない期間が続いています。しかし、だからと言ってお互いに手をこまねいているわけにはいきません。このところ、各担当の学芸員がリモートで授業支援をする機会が増えました。2月2日は、光が丘小学校の3年生にオンライン授業です。

パソコンの向こうには元気な小学3年生が

初夏から取り組んできたカイコの飼育の成果として展示を考えているということで、展示のつくりかたや、解説パネルのレイアウトのコツなどをお話ししました。

みなさんと記念写真を撮りました!

教室の活気などもちゃんと伝わってきて、リモートでも十分にできることはあるので、しばらくはこうした方法で授業支援など行っていきたいと思います。

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